
リクルートはどんなきっかけでできたの?
私もリクルートのことを調べているうちに、リクルートの歴史、リクルートがどうやってできたのだろう?とかなり気になって本を何冊も買って調べてまいりました…!
リクルートの創業者
リクルートの創業期についてお話しする前に
リクルートの創業者についてお話瀬おかないといけませんね!
リクルートの創業者は言わずと知れた江副浩正さんです!
江副さんは、Amazonのジェフべゾフの上司だった方とか…?
江副さんを語り出すとこの記事の本題に入れないので、
一旦ここでは割愛させていただきます…
江副さんのことについて書いてあるこの本はすごく感銘を受けました!
私自身仕事が辛くて辞めたくなった時に、江副さんの作った会社だから…と
何度自分に言い聞かせて思いとどまったことか(笑)

リクルートの創業者の江副浩正さん
ちなみに私はaudibleで聴き放題プランが出た瞬間に音声でも試聴しました!
1ヶ月無料キャンペーンなどもあるので、無料でこれ聞けるのヤバすぎだと思います笑
リクルートの創業期
江副さんの「就職しない」という選択
大学在学中に財団法人東京大学新聞社で企業向けの営業をしていた江副さんは、そこでのコミッションで月50万強の収入があったそうです。サラリーマンになると収入は1/3になり、さらに時間や規則に縛られる。そんな思いから就職しない道を選んだそうです!当時は「どこで働いているか」がステイタスだったのにも関わらず、東大新聞の卒業生進路一覧には江副さんだけ「就職せず」と書かれていたそうです。
卒業してから早稲田、けいおう、一ツ橋、京大の大学新聞広告も扱うことになり、事務所が必要になりました。
リクルート最初のオフィス<森ビルの物小屋>

初期の森ビル
江副さんが最初の事務所として借りたのが、東大時代の教育学部の先輩、森稔さんが学生時代に建てた最初の森ビルの屋上の物置小屋でした。
ココがリクルート発祥の地となるのです!
なんと、四畳半ほどの広さの部屋だったとか…
それを月7000円で森さんからお借りしていたそうです。
こんなエピソードもあったみたいです。
雨の日に
「雨漏りがする」と森さんに江副さんが言うと
「仕方ないよ。森ビルだもの」
と返されたそうです。
そんな環境の中でリクルートはスタートしたのでした!
一冊の本だけで会社設立完了?!
当時は高度経済成長真っ只中ということもあり、会社もすごく好調だったらしいです。創業してから半年程経過した時でした。大口顧客である八幡製鉄人事課長にあることを江副さんは言われます。
「経理に個人との多額の取引は良くないと言われた。株式会社にしてもらえないか」
この一言から江副さんは【株式会社の作り方】という本を買い、
株式会社にしたそうです。 (行動が早い….)
その時できた株式会社が「株式会社大学広告」です!
自社メディアを持つんだ!
大学新聞の広告を扱うことはあくまで代理店の為、できることも限られていたこともあり、江副さんは自社媒体を持ちたいと思っていたそうです。
そこで最初に取り組んだのが
『企業への招待』(のちにリクルートブックと改題)
江副さんはこの仕事に絶対の自信を持っていましたが、
一点問題がありました。
大学新聞の時のように代理店ではない為、自己資金が必要なのです。
江副さんは、用紙屋、印刷屋などに粘り強く交渉したが、
「最初の取引は全額現金でお願いします」という言葉ではねられてしまうのです。
最終的にとった策としては
広告業界としては異例の前金制度です!
申込時に前受金をいただければその間の家賃や人件費になる。
そう思って早速『企業への招待』の営業に行くのですが、
企業の反応は予想を大きく反する物でした…
「○○が載せているならうちも」 (今のリクルートの営業に通ずるので気持ちめっちゃわかります笑)
大学新聞に好意的に載せてくれている企業の方々にも口を揃えて
「○○さんが載せているなら、うちも考えます」
と言われたそうです。
(これめっちゃわかります…)
リクルートのどの部署の方でも新規営業をされてる方ならわかると思います
「○○(大手または地元の力持った企業など)が載せるならうちも載せる」
これ一度は言われたことあると思います…!
ここで江副さんはあることに気づきます
それまで各大学の新聞広告の営業が順調だったのは
自分への信頼ではなく、大学新聞への信頼だったのだと・・・
そこで江副さんは悩んだ末に苦肉の策に出ます
無料で掲載?!
なんとその策は、学生に人気の高い一流企業に対して
「無料で掲載させてください」
とお願いしたのであります
これでも断られることがありましたが、40社程に掲載してもらい
合計で69社でスタートしました!
創刊されると、学生からは嬉しい言葉をもらえたが
半分以上は無料掲載の為
大赤字でした…
→これは大学新聞の収益で賄ったそうです
翌年度続けようかかなり迷ったそうですが、
江副さんは続けることを選択しました!
翌年は岩戸景気の追い風により
前年に無料掲載していた会社も全て有料化し
さらに新たに参画してもらったこともあり
売上高は4倍になったとのことでなんとか
創業時の一番大変なタイミングを乗り越えたのでした!
リクルート社名の原点
昭和38年4月、「大学広告」は「日本リクルートメントセンター」に社名変更
英語で人材採用のことを「リクルートメント」ということに由来しているそうです
この社名はお客さまから
「社名が長すぎる」
と不評だったらしく、同じ年の8月には
日本リクルートセンターに社名変更
そして昭和59年現在の「リクルート」になったとのことです!
リクルートの採用の原点
江副さんはこの仕事を始めて最初の頃はこの仕事を生涯の仕事とは決めていなったそうで
その為、社員やアルバイトも多くは友人や知り合いで固めていました
この仕事をずっと続けていこうと決めた創業4年目に新卒採用をスタートしました!
当時は名も無い小さな会社だから人は取りにくいと考え
他社とは違うところに人を求めようということで
学歴、男女、国籍の差別なし
この求人を大学と高校に出しました
ココでの驚きは、初任給を大企業よりも30%程高く設定したとのことです
4人募集したのですが、それに対して応募はなんと…
2000人きたそうです!!
この2000人に対し、自社制作した能力適正テストを行いました
そして高卒と大卒のそれぞれ上位200名に対し
面接を行い、高卒4名、大卒4名の採用を決めました
大卒は全員女性、高卒は男女各2名採用しました
このような採用を毎年続けていき、リクルートは
女性や高卒を差別しない給与水準の高い会社
と評価されるようになっていきました!
長い期間、リクルートは女性と高卒で持っている会社と言われていた所以はココにあります!
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